しつけとは、子どもに備わりつつある能力を適当に訓練して、社会生活のために必要とする能力を、習慣の形にまで身につけてやることであるので、その前提として第1に子どもに備わりつつある能力についての正しい知識を持つことが必要となります。子どもの発達に即してしつけるということがまず要求されるのです。能力をこした要求は例えその要求が本来正しいものであり、あるいは、まがりなりにも子どもがその要求をかなえられても、それはきっとその子どもの心に歪みを生じてきます。この意味で多くの母親が勇み足をしているようにみえます。
次にしつけの目的は社会生活に適応して、自立できる人間を作り上げることであるのでまずその目標をはっきり定めて、しつけの範囲をきめなくてはなりません。この目的にかなうためには、
@社会生活のルールをよく守り他人に迷惑をかけない。
A自分で辛抱しなくてはいけないことがこの世には数多くあり、それをじっと堪えるということが大切だということをよく分からせる。
Bうそをつかない。
この3つを教え込めば充分ではないかと思います。山下俊郎先生はしつけの実際としては5つの基本的習慣、つまり、食事・睡眠・排便・着衣・清潔についてきちんとしつけておくということが将来の人間形成に大いに意味を持つと言われています。とにかく、余り欲ばらないで、基本的なことについてだけ、はっきりした一貫した態度を親が取ってしつけてゆくということが最も大切なことのように思います。こまごまとしたことは子どもを取りまく社会が教えてくれ、子どもはそれぞれ自分の力で自分の知恵として色々の教訓を学びとって成長してゆくので、親が先にまわって教えたり、世話を焼きすぎるということはかえって子どもの健全な脳の発達を害し、子どもの自立性を損なうだけです。
病院で長い時間、発熱や腹痛を辛抱して待つのは誰も辛いことです。しかし、他にも同じ苦しみの人がいる。他の人はもっと苦しいのかも知れない、と考えてじっと順番を待つということ。注射は痛い。痛いけれども病気を治すためには必要な苦痛であれば受けなければならないこと。病院に受診するということも格好のしつけの場です。しつけにやかましいと自称する母親が順番が待てずに何度も催促したり、注射をかげで希望しながら注射はしないと子どもをだましたりする姿をみると、もっともっときびしいしつけをこの母親にしてやらねばと思います。子どもだから注射が痛ければ泣いてもよい、泣きながらでも納得して治療をうけてゆく子どもは、さんざん暴れたあげく、ほうびの数々を手にして、おじぎやあいさつだけは一流にしていく子どもより、はるかに清々しいものです。
子どものしつけということは、結局親のしつけに他なりません。早くからしっかりしつけるということは、親がその子を産んだときから、しっかり自らを戒め、自ら成長し努力してゆく、その姿を子どもに見せることに他ならないと思います。
では、良い年寄りであるためにはどうすれば良いでしょうか。大切だと思うことを4つあげてみます。
第1に、両親の育児方針をよく理解した上で協力してやることです。
子どもにとって1番不幸なことは、一貫した方針で育てられないことです。両親だけでも、2人の考え方が一致しないために問題児になってしまった例が沢山ありますが、そのうえに祖父母が又違った方針で臨むというと、一層ひどいことになってしまいます。時代と共に育児の考え方も、やり方も変わっていますので、いろいろと納得しにくい点もありましょうが、やはり両親の方針を尊重していくことが大切で、陰で親のやり方を批判したり、自分のやり方で修正を加えたりすることが最もいけないことです。
第2に孫について出来るだけ客観的な眼を持つことです。
「親ばか」といわれるように、親が子をみる目はとかく狂い易いものです。そこを、長い経験を持った第3者として冷静に見てやることが、非常に大切なことです。ところが実際は、親以上に偏った眼で見てしまうことが多いのは残念なことです。
第3には、衝撃を和らげるクッションとしての役目です。
若い両親は時々ストレートに子どもを叱り、はげしい言葉をあびせたりして、子どもに必要以上のショックを与えてしまうことがあります。子どもの気持ちが落ちついたところで、何故親からあんなに叱られたのかということを、ゆっくり話してやりましょう。又、子どもの主張を聞いてやることも大切な役目です。叱られた親には反抗的になってしまう子どもでも、祖父母には落ちついて話し合えることはよくありません。このとき、まちがっても親を批判してはなりません。もし子どものいい分に理があっても、そこは聞くだけにしており、親に子どもの気持ちを話してやって親の手で処理させることです。
第4には、親の姿を子に知らせる役をすることです。
親がどんなに働いているか、どんな人であるのか、どんなに子どものことも大切に思っているかなど、親自身の口からはいい難いことを、機会ある度に、さりげなく話してやることが大切で、親に対する子どもの尊敬や信頼感を育てる上に大変大切なことです。
近頃アメリカでは、周産期のドウーラ効果ということが重視されています。ドウーラというのは助ける人という意味です。ドウーラがいるかいないかで、お産の重さも、母乳の出方なども大変な差があるというのです。祖父母の役割は、まさに育児全般のドウーラに当たるものだと思います。
1、保育所との協調
保育所と家庭がバラバラというのが、子どもにとって最も困ることです。保母さんとよく話し合い、連絡をとり合って、共通の理解の下に一貫性のあるやり方で育児に当たることが最も大切です。
2、自主性を育てることに力を入れよう。
早くから親元を離れているので、家庭にいる子よりは自主性が出来ているだろうと考えるのは早計です。保育所では案外子どもに行動の自由がありません。早くから集団の中で育つと、集団に溺れてしまって、自分で考えることはしないで、人のする通りについていく子が多いことが注意されています。独りで考え、独りでやろうとしていたら、少々危なくても、いらいらしても、親は口出しせずにじっと見守ってやりましょう。親の辛抱と、適当な賞賛とが自立性を養うには特に大切です。
3、子どもの生活リズムをこわさないように
保育所の生活は、家庭よりはずっと時間的にきちんとしています。折角身についた子どもの生活リズムを壊さないように注意しましょう。折角の日曜日で朝もゆっくり休みたいし、のんびり1日を送りたいのは分かりますが、子どもは休みだからといって、意識してリズムを変えられません。子どもの生活リズムは狂わさないように心がけてやりましょう。連休の時などは特に気をつけましょう。
4、親子のスキンシップに気をつけよう。
一緒にいる時間が少ないからといって、むやみにベタベタくっつけるのは考えものですし、いつも集団の中にいる子には独りで遊ぶ静かな時間も大切です。しかし、一般的に言って共働きの母親は、子どもが家庭にいる時間にだけついてみても、専業主婦の母親よりは子どもに接触する割合が少ないと言われます。手を握ったり、抱き上げたり、ちょっとした肌の触れ合いが心の交流を深めます。平素、保母さんを独占することが出来ない集団保育の子どもにとっては、スキンシップの意義は一層大きいのです。
5、子どもへの対応を素早く。
疲れて帰って、夕方の支度が忙しいのに、一々子どもの呼びかけにかまってなどいられないかも知れませんが、子どもには出来るだけ素早く反応してやりましょう。集団では1人1人の呼びかけにすぐ反応しては貰えません。声をかければすぐ応えてくれるお母さん、これで母と子のきずなはぐっと強められます。
6、ストーリーのある経験を与えよう。
買い物かごを持ってお店に行って材料を買いこみ、台所でお炊事をして、皆で楽しく食べて、終わった後片づけをする。保育所では、こま切れの場面が与えられるばかりで、こんな流れのある経験は出来ません。洗濯、入浴、掃除など色々の生活の流れを、ストーリーのある経験として子どもに与えてやって下さい。
右利き、左利きの出来る原因はまだよく分かっていませんが、大脳の構造に違いがあるという学者まであって、習慣とか癖とかだけでは片付けられません。3歳児のような発達し始めの時期に、無理に右に変えようとすると、きつ音が出たり、言葉が遅れたり、あるいはほかの発達にまで支障を来たすことがあります。
日本人には圧倒的に右利きが多く、字を書くことを始め、いろいろのことが右利きに都合が良いようになっています。しかし、外国では左利きがたくさんいて、左利き用の道具もちゃんと備えられて不自由なく生活しています。右利きと左利きの間には、利き手の違いがあるだけで、能力差はないのですから本当は放っておいてもよいものです。
ただ、小学校に入ると字を書くのに反対向けに書いたり、左利きは苦労しますので、学校に上がる前に右手を使う練習をさせると良いといわれています。これは左利きを右利きに変えるというのではなくて、左手のほかに右手も使えるように訓練するということです。
多くの子は、この方法が成功して、右も左も使えるようになるか、少なくとも右でなければ困るところだけは右を使えるようになります。
しかし、これも3歳児の時点ではやらない方が良いと思いますので、今は干渉せずにのびのびと左を使わせて、5歳ごろになってから右も使う訓練を始めたら良いと思います。
欲しがって泣いても、それでひきつけを起こすことは決してありません。
年長児に母乳を飲ませたからといって、身体的には何の害もないと思います。私も、小学3年生まで母乳を飲ませ続けた例を知っていますが、身体の面では何の問題もありませんでした。
しかし、心の発達の面では、自立が妨げられるなど、大きな悪影響があります。
2歳を過ぎてやっと断乳をしたようですが、そもそもお母さんの考え方に甘すぎるところがあるのではないでしょうか。
子どもの将来の人間形成を考えて、もっと強い母親になっていただきたいと思います。
まず、排せつのしつけにあまり躍起にならないことが大切で、大らかな気持ちで見守ってやって下さい。小学生になってもパンツにうんこをする子の話を聞いたことがありますか。そんな子もないことはありませんが、ごく小数で、ほとんど自然にやめてしまいます。
ところで、トイレは明るいですか。怖いところだと脅かしたり、注意しすぎたことはありませんか。オマルはどんな形ですか。安定していますか。子どもの喜びそうなものを新しく買ってやるのも一策です。オマルやトイレで排便する方が気持ち良いことを感じさせることが大切で、成功した時は口でほめるだけでなく、抱き上げたり、体に触りながら喜んでやって下さい。しかりつけることは全く効果がないと思います。
便秘を防ぎ、便をやわらかくしてやることも大切です。野菜や果物など繊維のあるものを食べさせましょう。1番いけないのは、トイレでの排便を強制する母親のいらだちです。
3歳児ではまず問題とする必要はないと思いますが、4歳になっても同じようであれば、母と子との心理的な関係のゆがみや、子どもの発達の遅れなど、いろいろと問題がありますので、専門家に相談を受けることが必要です。
というのは、このころではまだそれほど長い時間集中してテレビを見ることはできないからです。逆に、テレビでしっかり勉強させてやろうと考えて、お子さんのテレビの見方をご覧になってみて下さい。長い時間見ているようでも、きっとあちらこちらと他を見たり、何か手遊びをしたり、決して集中していないことが分かります。興味のあるところはよく見て、コマーシャルや主人公のしぐさをまねしても、長い間しっかりと見ているわけではないのです。
テレビの欠点はいろいろあげられますが、目への悪影響については、そばにくっついて見る、寝転がって見る、チカチカする画面を見るなどのような悪い見方をしない限り心配ないとされています。
内容については、3歳児ではまだあまり理解力がないので、それほど気にしないでよいと思います。できるだけお母さんも一緒に見て、子どもと対話を持ちながら見ることがよいでしょう。
この年ごろで問題になるのは、テレビの前に座ってばかりで運動不足になることと、対話に欠けることです。1番困るのは、長い時間だらだらとテレビを見る癖をつけてしまうことですから、やはりテレビの時間は制限して、見たい番組だけにすることですが、それには子どもと約束して、終わったらすぐパチンと切ることが大切です。
弟や妹に奪われてしまった親の愛情や関心を自分に引き戻したい。しかられてもよいから親に声をかけてもらいたい。そういった気持ちから出たことですから、その行為ばかりを責めて、しかってばかりではかわいそうです。
『兄ちゃんのくせに』とか『姉ちゃんだから後でよい』では子どもの心は満たされません。何事でも、できるだけ上の子を先にたてるように心掛けることです。ちょっと声をかけてやるだけでも結構です。それも『兄ちゃんだから待ちなさい』ではなくて『兄ちゃんだから待ってやれるね』という話し方で、辛抱できたらうんとほめてやって下さい。
また体に触りたがったり、甘えてきたら、甘えを満足させるように努めてやることも大切です。甘えが満足されて初めて自立できるのですから。下の子をいじめるように見えても、あるところではかわいがっている面もきっとあります。そこをうまくほめてやるのです。
赤ちゃんに手がかかるけれども、あなたのことは忘れてはいないのよ、あなたも大事にしているのよということを、上の子に分かるように態度で示してやることが大切です。しかるよりほめて直してゆくのがコツだと思います。
そうです。お子さんは遊びから失業しているのです。その遊びに飛び込んでゆけない何かを見つけてやり、遊びに引っぱり込んでやるのがお母さんの仕事です。歯並びが悪くなると言われますが、余程指しゃぶりがひどくないと、あまり心配はありません。叱らずに遊びに引っ張ってやれば、いつの間にか止めてしまいます。
指しゃぶりは子どもの失業状態、遊びへ就職させよう。
性的な質問だからといって、特別な反応を示さないということが基本ですが、そんな質問に答える原則的な注意を書いてみます。
1 そんな質問が出たことを喜ぶ。
知的発達の証拠です。
2 あわてない
顔色を変えたり、急に身構えたりせず、ごく自然の態度でこたえましょう。
3 逃げない
「エッチなことを言うものじゃない」とか「そんなことを聞くものではありません」などの答えは最低です。
4 ごまかさない
急に話題をかえたり、お菓子を与えたり一時のがれをしても、子どもの心から好奇心は消えません。
5 うそは言わない。
6 すぐその場で
「大きくなったらわかる」などと先へ送るのはだめ。チャンスだと思って、あんたはどう思うと、きき直すのもよい方法。
7 聞かれた人が返事すること
お父さんや先生に・・・・と逃げるのは危険。
8 勇み足をしないこと
できるだけ簡単に。子どもが納得したら止めること。
小学生になっても、基本的には同じです。いつかは通らなくてはならぬ道ですので、平素から一応心構えをしておくことが大切です。
まず、他人とのつき合いに慣れさせることから始めましょう。必要以上に緊張しないようにするのがねらいです。親戚や近所の人など、皆がリラックスしてつき合える間柄の人達とのつき合いから始めます。
しかし、ここで大事なことは、始めからものを言わそうとしないことです。むりに言わそうとすると、逆効果になってしまいます。そんな雰囲気に慣れてしまったところで、機会をみて自然なかたちで発言させるようにしむけてみます。簡単なことや、その子の得意なことなどから問いかけてみて、返事をしなかっても、叱ったり、催促したりせずに次のチャンスを待ちます。他人に直接に返事するのでなく、お母さんに言うという形でもよく、他人のいるところで発言することに慣れさせます。うまく返事ができても、大げさにほめたり、次々と発言させようとすると、また黙ってしまいます。親しいいきつけのお店に、簡単なおつかいに行かせるのもよいでしょう。親が必要以上に出しゃばって、代わりに発言していたら、まずそれを止めなければならないのはもちろんです。
家では普通に話すということですから、自閉症などの心配はありません。大人がいないところでは、お友達とはいろいろと話しているのではありませんか。成長するにつれて、他人との接触にだんだん慣れて、必要なことは言えるようになると思います。
神経質の子の親は、両親あるいは一方が、やはり神経質であることが多く、遺伝要因が大へん強いものと考えられました。しかし、環境の影響も強いことが分かり、「あんな家庭では、子どもが神経質になるのも無理はない」などといわれたりします。現在では、遺伝と環境とが互いに影響を及ぼしあって作り上げられたもので、子どもが親の神経質な行動をみて育つため、いつとはなしに似てくるというよりは、細かいことまで、きちんとしなければ親の気に入らないので、親に認められてようとする子どもの願望から学習が行われて、この傾向に一層拍車をかけると考えられています。つまり、もともと素質を持っている上に、神経質な親に叱られないために一層神経を細かく使うので、ますますひどくなってしまうというわけです。
ひどくなると、何でもないものが恐かったり、同じことを何度も確かめたりするような行為が出てきます。親の方は、始めは細かいことによく気のつく良い子だと思っていたのが、度が過ぎてくると、こんどはその傾向を治そうとしますが、そのやり方がまた神経質なのです。しかも、それが表面に出た行為を止めさせようとすることに努力するばかりで、なぜこんなことになったかという本質的なことには全く目を向けません。子ども自身も、こんな性質が苦しくなって、思い切ってみようと努力しますが、その効果は現れません。その姿をみて、親はさらに心配を強める、というわけで、悪循環が続きます。この悪循環の鎖を断ち切るのを子どもに求めるのは無理で、親の方がたち切る努力をすると共に、専門家の助力を仰ぐのがよいと思います。その第1歩は、子どもが自分の心の中を遠慮やためらいなく話すことができる相手をつくることから始まります。
環境の面でも、同じ家庭で育ったといっても、生まれた時の両親の年も違い、3年の間にはいろいろと変化が出ています。特に兄と弟では、親の養育態度にかなりの違いがあって、兄は兄らしく育てようとしてしまいます。この影響はかなり大きいものだと言われています。
このように遺伝も環境も同じではないので、この両方の因子が影響を及ぼし合って作り上げられる兄弟の性格が違うのは、むしろ当然です。同じ家に住んでいると、つい比べて考えがちですが、これが1番いけないことです。おとなしい兄さんに比べて、やんちゃな弟さんには手を焼くでしょうが、活発なのも1つの長所ではないでしょうか。兄と弟と、それぞれの長所をみて、2人の個性をのばしてやることが大切で、1つの型に2人をはめこもうとしてはいけないと思います。
第2には、失敗した時に親がどう対処するかということです。家庭内暴力などの問題の子どもをみていると、ほとんどの子が何かで失敗した経験を持ち、しかもその時の親の対応がまずくて、強い心理的な傷をうけていることに気づきます。競争ですから、勝ったり負けたりするのは当然のことで、失敗の経験は誰でも持っています。問題は失敗することではなくて、失敗した時の周囲の対応なのです。失敗は誰でも嫌です。自分でも、親の期待にこたえられなかった苦しさを感じ、心の中ではたくさんの反省が浮かんで来ているはずです。そんなとき1番すがりつきたいのは母親です。ところが、その母親が急に裁判官に変身して、つき放し責めたてたのでは、子どもの心は深く傷ついてしまいます。まず一緒に泣いてやりましょう。そうして2人の心が同じになったところで、これからのことを静かに話し合い、手をつないで立ち直りの努力を始めましょう。「落ちると思うちょった」とか「やっぱりあんたは駄目な子だ」とかいう言葉は、決して使ってはいけない言葉です。長い人生ですから、失敗は何度でもくり返せます。何くそと立ち直り、その失敗を教訓に次の成功をかち得る逞しさや知恵が非常に大切なのです。そういう意味で、子どもの失敗体験は大へん貴重なものです。失敗をおそれて、逃げまわったり、親が助けを出して失敗をカバーしたりしては、本当に逞しい子は育たないと思います。
結論から申しますと、不器用な子を器用にすることは、まずできない相談ではないかと思います。人の性質や能力は遺伝と環境の2つの因子で決められますが、学科についても、遺伝の力の強いものと弱いものが分かっており、工作は遺伝の影響が強いものにあげられています。
工作をする時に、手先のたくさんの筋肉がうまく強調して動くように統合するのは小脳です。最も、ここを丸くすると形が良くなるとか、どんな色が良いとか考えるのは大脳の前頭葉ですから、作品のでき上がりには大脳も関係がありますが、手先の動き、つまり器用不器用ということだけを考えると、それは小脳の受け持ちということになります。それが生まれつき小脳にどんな差があるためなのかというようなことまでは分かりません。ところが、脳の病気で身体が不自由になった人にリハビリテーションをやって回復をはかるのですが、小脳がやらえていると、回復がはかばかしくないのが普通です。つまり、後天的な訓練が効果を上げにくい場所であるというわけです。
器用な人は、ちょっと聞いたり見たりしただけで、さっさと上手にやってのけますが、不器用な人は多くの時間と労力をかけても、なかなかうまくできません。しかし、長い間同じことをしていると、その差を縮めることはできます。これは不器用を器用にしたとは言えませんが、努力や経験を重ねることで、結果的には器用な人に近づくことはできるのです。勿論、いくら努力をしても、器用でなければできないことはあります。しかし、それ程の器用さを必要とする職業は、むしろ少ないのです。手先の器用さを必要としない職業で、お子さんの得意な面を発揮できる仕事の方へ進路を見つけてやることが大切だと思います。器用貧乏という言葉がある通り、器用であることは1つの利点ではあっても、必ずしも成功の必須条件ではないのです。
自殺をする人の75%以上は、いろいろのやり方で予告をしています。1番多いのは「どうして良いか分からなくなった」という予告です。そんな文句が何かに書かれていないか注意してください。ご質問の文面だけでは詳しいことが分かりませんが、家の人とも話しもせず、独りとじこもっているというのは、うつ病のかなり悪い状態のように見られます。ところが、自殺を決行するにはかなりエネルギーがいるので、うつ病の悪い最中には自殺はしません。なりかけか治りかけ、特に治りかけが危ないので少し元気になったなと思う時に気をつけなければなりません。また、自殺は伝染するので、自殺のニュースなどが入らないように気をつけるのも大切です。しかし、何といっても自殺を防ぐのに最も大切なことは、孤独にしないことです。独りで悩むか、相談相手があるかどうかで大へん違ってきます。1番いけないのが相談相手がいないか、いてもとりあって貰えなかった時です。幸い、自殺の異常心理は長くは続かず、1、2カ月で危険が去ることが多いので、今すぐ援助の手をさしのべて、決して放っておかないことが大切です。
しかし、中学生でタバコを吸うということは身体面での問題よりも、むしろ心の面の問題がもっと大きな問題です。国や学校の規則を破って、自分の快楽を追うというその姿勢に対して、断固とした態度で当たるべきであって、タバコの害云々以前の問題だと思います。