このコーナーは、前院長である尾木文之助のコーナーです。文之助をご存じの方、またはお暇な方はお立ち寄りください。
このコーナーはまだ工事中です。おそらくいつまでたっても工事中のままだと思いますが、お足元に気を付けて出来ている部分だけでもご利用ください。
前院長...尾木 文之助 (Bunnosuke Ogi) 1923〜1994
履歴
高知県安芸市出身。昭和22年九州大学医学部卒業。同大学付属病院などを経て29年、安芸市の実家の医院に帰る。
役職としては高知県医師会副会長、高知県小児保健協会会長、日本小児科医会副会長、日本小児科学会名誉会員等を歴任。
受賞
保健文化賞、日本医師会最高優功賞、厚生大臣、文部大臣表彰、県政功労者、小児保健賞、安芸市民賞、等。
著書
内科医のための小児診療ノート(共著)、育くむこころとからだ、子どもの幸せ、めめしいカタトリマン
高知新聞に掲載された「カルテアラカルト」他を育児の本にまとめたものです。高知県の小児医療の現場でたくさんの子供を見てきた経験から、子育ての中でごく当たり前のことながら、忘れてしまいがちなことを思い出させてくれます。乳幼児期から小学校時代という子供時代はあっというまに終わってしまいます。親も子もともに楽しめる子育てを探しましょう。
子どもの幸せ 小児科医の引き出しより
開業医の後継者としての宿命を背負った文之助は、文科に進みたいという希望を押さえて医者の道に進みましたが、終生、自然科学と文学を両立させた郷土の、そして旧制第五高等学校の先輩である寺田寅彦に憧れていました。専門的なものはもちろん固い文章でまじめに書いていましたが、その他の文章では遊び心が旺盛でした。この本は文之助がいろいろな分野で発表してきたものもう一度多くの方々に読んでいただきたいという心でエッセイ集としてまとめたものです。
めめしいカタトリマン(高知新聞社)
自分自身の経験も、必ず治療の役に立つはず。そして、早期発見の大切さを知ってもらいたい。<前立腺がんとと正面から向き合った小児科医・尾木文之助さん自身の闘病体験の記録。
平成4年、異常を発見。その後、入退院を繰り返す中で自らが感じた「患者の目で見た我が国の医療」を講演するなど、残された時間をがんの痛みと戦いながら積極的に生きた医師とそれを見守り続けた家族の記録。
だそうです。以上は本書の帯の文句です。この本はよそから出版されたので、残念ながら内容の紹介は出来ません。
本日は尾木文之助記念館にお立ち寄りいただき、また最後までお付き合いいただきましてどうもありがとうございます。
父には研究者としての顔や、熱心に啓蒙活動を行う教育者としての顔ももっていましたが、私たちにとっては、地域医療の最前線で働く臨床医としての父が一番強く印象に残っています。父の時代はまだまだ子どもの栄養状態も悪く、今なら何も問題にならないような病気でも非常に重大な結果を引き起こしたりしていました。そのため父は1日24時間、1年365日超人的な戦いをくりひろげていました。本当は好きな研究をして暮らしたいのではないか?、いつもそんな風に思っていましたが、父は人生に最後に残された時間を病院で診療を続けることに使いました。やはり父にとっても一番大事に思っていたのは一医師としての顔のようです。
このコーナーは、もちろん父のしてきたことを少しでも多くの人に知ってもらいたいという気持ちもあったのですが、それ以上に私たち自身のために作りました。豊かになったようでも、子ども達をとりまく環境は徐々に悪化し、子ども達にかかるストレスはどんどん増加しています。父のあとを継ぎ、私たちの戦いが始まったのですが、私はもちろん院長である妻のさおりもまだまだ力不足です。私たちが長い長い戦いに疲れ果てたときに、このコーナーが初心と決意を思い出させてくれると思います。
本日はまことにありがとうございました。